新選組の足跡に触れる京都への旅③

 

 

京都1日目の最後の記事です。

 

壬生からバスに乗って、三条方面へと移動しました。週末の夕方で、向かっている辺りが繁華街ということもあって渋滞していたのだけど、座っていたので疲れを取ることができて良かった。

ちょうど日も暮れかかって日差しが影を潜めてくれたのもあって、ずい分と足取りが軽くなっていたので、またお喋りをしながらpolarisガイドさんのお話を聞きながらの徒歩散策開始です。

あの池田屋事件に関わりの深い場所と言うことで、敢えて近藤勇を始めとする数人の幹部隊士たちが歩いた道を一緒に歩くプランを考えていてくれました。

古高俊太郎こと桝屋喜右衛門が住んでいた桝屋跡地、四国屋跡地(写真を撮り忘れた模様 → polarisさんが教えて下さいました。武市半平太の住居跡=四国屋跡だそうです!)、三条制札事件現場、三条大橋(近藤勇の首が晒された場所)など新選組にまつわる場所が多かったので、あの時はそんなに噛み締めて歩くという感じでは無かったけれど。

ターボさんは薄桜鬼では原田左之助が、史実では土方歳三が好きらしいのですが、三条制札事件と言えば左之さん大活躍♪なのですよね。別にはしゃぐ様子は無かったけれど、心の中で静かに感動を味わっていたのかな!?

この辺りの史跡についてはpolarisさんも記事に書いているので、良かったら読んで下さいね。

 

私は・・・と言えば、三条大橋が今回の旅で一番記憶に残る場所になりました。

どうしてでしょうね。特定の隊士に興味がある訳ではないし、薄桜鬼の攻略対象ではない近藤勇はあまり身近な存在ではないのに。

でも三条大橋の欄干から河原を見下ろした時、近藤さんの無念が伝わって来て泣きそうになってビックリ(>_<) まだエネルギーとしては残っている感じだったので、ご冥福をお祈りしました。

予約している食事の時間が迫って「行くよ〜」とpolarisさんが言うのだけど、足が動かなくてね。この場所には近い内にまた来なくちゃいけないな・・・と感じました。(別に変なエネルギーじゃないし、地縛霊みたいな念が残っている訳ではないので、私たちが訪れた時もそうだったように、河原で涼を取って大丈夫ですよ。)

 

いよいよ、一人では行くことが無い(笑)、はなの舞・池田屋さんへ。

週末だったせいか待っている人も結構いらっしゃいましたが、polarisさんが予約をして下さっていたのですぐに席に着くことができました。

2時間という制限があるので、飲み物や食事をさっさと頼みます!

お料理は予想以上に美味しくて、ビックリ。普段ほとんど居酒屋さんには行かないのだけど、日本って本当にどこに行っても美味しいのね・・・。

ここでランチ以来のゆっくりお喋りタイム。

薄桜鬼コラボの飲み物や食べ物を頼むとコースターや缶バッジを頂けるらしく、どんどん溜まっていきます。私はグッズには全く興味が無いから、polarisさんとターボさんで山分け(笑)沖田総司はpolarisさん、原田左之助はターボさん。それ以外は順番に。きっと結構な数のお土産になったことと思います。

ここで朝から持ち歩いていた釣先生のシラバスをお二人に渡しました。

 

polarisさんはガイド役を務めてくれるだけでなく、電車賃や入場料などを払って私たちの史跡めぐりに付き合ってくれるのは分かっていたので、ずっと何かをプレゼントしたいと思っていました。

薄桜鬼よりも史実の新選組に興味が移っているのはブログから感じていたし、かと言って会ったことが無いから彼女に似合う物も分からない。3日くらい前まで「どうしよう?」と悩んでいたのだけど、たまたま彼女がアップしたブログ記事からヒントを得て、まだ持っていないことを祈りつつプレゼントを用意。

実際に欲しいと思っていた物&まだ持っていなかったそうで、とっても喜んでくれました。良かった、良かった!

 

2時間の美味しくて楽しいお食事を終えて、地下鉄で京都駅へ戻りました。

polarisさんが10時半過ぎくらいまでは滞在できるとの事だったので、コンビニで飲み物と翌日の朝食を買って、ホテルにチェックイン。

釣先生のシラバスを元に史実の新選組について語り合ったり、薄桜鬼やオフレコ話など、話題が途切れることなく時間が過ぎていきました。

この日初めて会ったとは思えないほど仲良くなって、別れ際はとっても寂しかったです。

polarisさんをホテルの外までお見送りをして、たまたま(本当に偶然に!)向かい側のホテルに宿泊することになったターボさんと明日の待ち合わせ時間を決めて、楽しかった1日を終えました。

 

泊まったのはホテル京阪京都のシングルルームですが、内装が新しくて水回りもお部屋も綺麗で良かったです。

私が好きな革、しかも茶系の革で統一された室内のちょっとしたグッズ達(テレビのリモコン収納用ケースや鏡など)も好感度アップ。アクセサリーを入れるケースや大きめのスタンド式鏡もあって、女性客には嬉しい。携帯の充電用ケーブルもありましたよ。

実は持参した電源アダプタが壊れていて充電が出来ずにいたので、充電ケーブルの存在には救われました!バスルームは狭かったけれどバスタブ付きだったお陰で、疲れた身体を癒やすことも出来たし。

 

polarisさん、あなたがいなければ新選組の史跡めぐりがこんなに充実したものにならなかったでしょう。下準備もしてくれていた事と思います。本当に、本当にお世話になり、ありがとうございましたm(__)m

ターボさんとは次の日も一緒だけれど、polarisさんともご一緒できたら楽しかっただろうな〜と心から思いました。

できれば年に1回くらい、同窓会みたいな感じで再会できますように。ブログを通じて素敵な出会いに恵まれたことに、心から感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

2 件のコメント

  • この記事も楽しく拝読しました。
    お詳しいお友達がご一緒されて、本当によろしかったと存じます。

    三条河原は、古くから多くの酷いことがあったと言われますね…。
    現地へ行ったら、浪士組が三条大橋を渡り京洛に第一歩を記したとか、三条制札事件で新選組がこう監視して土佐浪士たちがこう歩いてきたとか、別の出来事に意識を向けるようにしています。でないと、どうにもやるせなくなってしまうので…。

    現在「池田屋騒動之址」碑の立つ場所(はなの舞)が、池田屋跡地として広く認識されていますね。
    ただ、明治以降に道路拡張や建物の取り壊し&新築工事が何度かあった、それにより碑が移動された、幕末当時の状況を示す史料が乏しいなどの要因によって、跡地をピンポイントで絞り込むことはできていないそうです。
    池田屋の建物自体も、諸書に載っている見取り図は後世の推測であって、実際の規模や間取りがあのとおりだったとは断定できない、という話です。

    • 東屋梢風さん、こんにちは。コメントへの返信が遅くなってしまって、申し訳ありません。本業のサロンの仕事が立て込んでいて、それこそ深夜営業をしているような状態です。

      そうですね、これだけ大きな河原だと近藤勇だけじゃなく多くの首級が晒されたことでしょうし、それ以外もありそうです。ただ、あの場所に立った時のあの感覚は言葉には表せません。近藤さんはもう覚悟を決めていたことも、命乞いをするつもりも無かったことも感じられたけれど、残された隊士達を思うと死に切れないという印象でした。結局、土方歳三は近藤勇亡き後、死に場所を求めて彷徨ったという感じですし。そういうことが予見できていたから、死ねないと思ったのかもしれないですね。ただ、人の大きさみたいなものが感じられて、すでに彼らよりも歳を重ねている自分の精神的な幼さにやるせなくなりました(^_^;)

      池田屋にしても、最後の新選組屯所にしても、分かっていない事がまだまだ数多くありますよね。ま、はなの舞さんはお上手に経営していらっしゃるだけなのでね。私も1回行ったから次は別に行こうと思わないですし。

      ブログを全然更新できないまま、今週は釣先生の勉強会です。合葬も忘れる前に書きたいのですけど(>_<)

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