こんにちは、masakoです。
最近、時間ができると【新選組遺聞】を読み進めています。
【新選組遺聞】では60ページ近くにわたり、西本願寺へ移るまでの新選組メンバーに関する貴重な証言がたくさん記されています。
その証言をしたのが、当時の八木家当主・八木源之丞の息子である、八木為三郎さん。
清河八郎を筆頭にほとんどの浪士が京都に着いて間もなく江戸へとんぼ返りしたものの、芹沢鴨や近藤勇たちはそのまま残って新選組発足となり、壬生の八木家と前川家に駐留。
薄桜鬼本編のストーリーはちょうどこの壬生での話から始まっていますね。そして、
黎明録では芹沢鴨が生きていた頃が描かれています。
今の私たちが持つ幹部隊士たちの風貌や性格のイメージは、おそらく八木為三郎さんの回想を子母澤寛さんがインタビューや手紙のやり取りを通じて書き上げた、この本に依る所が大きいのではないでしょうか。
驚いたのは、芹沢鴨が息絶えたのは為三郎さんと弟さんの寝ている布団の上だった!という点。
弟さんも為三郎さんご本人も熟睡していて、斬り合いの騒ぎも芹沢鴨が覆いかぶさって死んでいることにも全く気付かなかったそうです。
不幸中の幸いですが、お母様はまだ眠りについていなくて、布団の中でその一部始終を見守る形になっていたとのこと。
お母様は子供たちを守りたくても身動きすら出来ず・・・その心中は察するに余りありますよね。
「あくまでも母親から聞いた話」という断りを入れつつ、為三郎さんがその日を述懐しているのですが、土方歳三が芹沢鴨が泥酔して寝ているのを確認してからしばらくして数人の幹部隊士と殺しに来たこと、その後に着替えた土方歳三が「芹沢鴨が亡くなったとか?」としらばっくれながら現場に近藤勇と現れた様子などが書かれていて、臨場感のある記述となっています。
原田左之助はかなり気が短い人だったことがハッキリと書かれていたりして、やはり薄桜鬼の左之さんはあくまでも想像上の人物なのだな~と、ちょっと寂しくなりました。
それとも、女性に対しては包み込む素敵な人だったけれど、男に対しては容赦なかったのか?
うーん、薄桜鬼の左之さんの幻想を抱いたままでいたいかも・・・なんて。
新八さんはふくよかな人だったみたい。
総司はお酒は飲むけれど、女はやらない人だったみたいな記述もあって。
で、近藤勇も総司も「かなり飲む割に酔っ払っている姿をみたことがない」とのこと。
平助が池田屋事件で額に重傷を負った理由については、「ほぼ事件が片付いた頃、暑かったために鉢金を外した後に隠れていた一味に斬られた」とありました。
途中からは漢文の手紙がたくさん出てきて、やっぱり難しい。
最初は頑張って読んでいたけれど、後半は漢文の部分だけ飛ばして読んでいます。
この本を読んでいると、壬生へ弾丸日帰り一人旅をしたくなる衝動に駆られます。
ま、そんな風に思った時にはもう止められない性格の私。
きっと、直感だけで動いちゃうんだけどね。
とりあえず、娘の体育祭が終わるまでは考えないようにしないと。