こんにちは、遅咲きの桜鬼です。
日野市立新選組ふるさと歴史館を後にして、次に向かったのは日野宿本陣。
予め地図を頂いて行き方まで教えていただいたのに、相変わらず直感だけで動く私は、全然違う方向へ歩いて行っていたようで気付けば徒歩の場合のおすすめルートじゃなく、車のルートを歩いていました。
徒歩15分くらいでしょうか。結構あっという間に到着。
ちょうど雨が本降りになっていたので雨粒が写っている写真もありますが、紹介しますね。

この先のお部屋で土方歳三と井上源三郎がお昼寝をしたと言われています
(室内の写真はもう少し後にあります)
この先を行くと入り口があり、ガイドさんが案内をして下さいます。
私は途中から参加したのですが、ひと通り終わった後の次の回にも参加(一人でも訪問者がいれば、いつでもガイドさんが案内を始めて下さいます)。
日野宿本陣は土方さんの姉・ノブさんが嫁いだ佐藤彦五郎さんの邸宅だったそうです。
普段はあくまでも個人宅として利用。誰かが泊まりに来る時は先触れがあって、「◯月◯日に誰とお付きの者◯名が泊まりに来る」という連絡を受けてから、旅館としての受け入れ準備をするスタイルだったとのこと。
通常は彦五郎さんが本陣の業務を行なっていて、現在は駐車場となっている入り口(最初の写真)の横に天然理心流の道場があったそうです。また、邸宅から見渡せる庭でも新選組の幹部隊士となった面々が稽古に励んでいたとのこと。
1865年と1867年に土方さんと井上さんが日野に来たようで、その際にお昼寝をしたと言われているお部屋は、奥の板(木製)を開けると庭からの風が通り抜けて、過ごしやすかったのではないか・・・とガイドさんが仰っていました。
また、「お昼寝をしたお部屋」と言っても別に土方さんの来訪は珍しいことでも何でもなく、生家よりもノブさんが嫁いだこの佐藤家の方が居心地が良かったらしくて、お姉さんが嫁いだ時に小さかった土方さんも一緒にここに移り住んだようなのです。約10年間、上野の松坂屋に丁稚奉公した後に帰って来たのもここだったとの事。
規模は小さいけれど、ガイドさんのお話が楽しくて、何度でも聞いていたいと思ったくらい。
ただ気になったのは、沖田総司の名前を「そうし」と連発していた事。某知恵袋や新選組に関するサイトを調べてみた所、正しいのは「そうじ」とありました。
漢字や読み方に関しては検証して下さる史実研究科の腕にかかっていると思うのですが、沖田総司の場合は自分が書いた手紙の中に「総二」としたためているものが見つかっているため、「そうじ」が正しいとされているようです。
ちなみに、私も新選組に興味を持った当初は「新選組と新撰組、両方見かけるけれど、どちらが正しいのだろう」と思っていました。
でも、子母澤寛さんの新選組始末記の最初に「どちらの表記も残っている。例えば、近藤勇が書いた手紙に新撰組があったり、会津藩からのお達しなどは新選組で統一されていた。」とあり、昔の人は音(つまり韻)で遊んでいたみたいで、人名も同じ読み方で違う漢字を充てることが日常的に行なわれていたようなのですよね。
だから、新しい史料が見つかればまた違う展開になるのでしょうが、現時点では「そうじ」が正しいという認識で良いのだと理解しました。
誰かが「そうし」と呼んでいたからといって別に目くじらを立てて指摘することでも無いと思うし、基本的に考え方は人それぞれでというのが私のスタイルなので気にしないのだけれど、一応ガイドさんとして公式な立場で情報を伝える場合は、「そうじ」が正しいことを踏まえつつ、自分は「そうし」と呼ぶのがしっくりくるのでそう呼んでいます・・・みたいなひと言があると良いのかもしれませんね。私みたいな初心者は「そうじ」って思っていたのは間違いだったのかしら
って不安になる場合もあるので。
本当に小さい本陣で、あっという間に見学が終わってしまうのですが、ガイドさんのお話を聞くだけでも行く価値があると思いました。
そして、ふるさと資料館では全然気付かなかった販売されているたくさんの資料(書籍)の中から興味を持ったものを幾つか買いました。6/11の釣洋一さんによる勉強会までにある程度読めると良いな(でも来週から珍しく予定がたて込んでいる)。
左は相馬主税(最後の新選組局長)の回想録、右は定価の半額で販売されている重版の予定がない資料(10年ほど前に書かれたもので、その後史実の検証によって内容が変わった部分があるそうです)。
こちらは左側がふるさと歴史館で常設展示されている史料の解説本、そして右の資料は言わずもがなの日野宿本陣の資料です。
これだけ買って¥3,000って安くないですかオトメイト価格に慣れてしまうと、金銭感覚がおかしくなりますね