こんにちは、遅咲きの桜鬼です。
【新選組遺聞】の近藤さんの最期について書かれた章に、「薩摩藩は近藤勇の処遇に関して寛容だった」ということが書かれていました。
池田屋事件や禁門の変が起こった頃は薩摩と新選組はどちらかと言えば思想が近くて、一緒に御所を守っていたはず。なのに、歴史の流れで長州と薩摩が手を組み、新政府軍となっていきますよね。
我が家は父方・母方ともに鹿児島出身で、父方の高祖父(祖父の祖父)は島津斉彬公に絵を教えていた日本画家。西郷隆盛とも親しく、西郷さんの肖像画を残しています(4月まで鹿児島の黎明館という所で、同じく日本画家だった祖父の特別企画展が開催されていて、そこに高祖父が描いた西郷さんの絵が展示されていました)。
実は、新選組の生き様に惹かれたものの、ずっと居心地が悪かったのです。薩摩の血を引く人間だから、新選組にとっては敵なのだと思っていて。
【新選組遺聞】の近藤さんが投降した件(くだり)、以前の記事に書いた有馬氏の述懐によると、当時は坂本龍馬を暗殺したのは新選組だと思われていたために土佐藩にとっては敵、長州藩にとっては池田屋事件・禁門の変などでの恨み、鈴木三樹三郎ら御陵衛士にとっては伊東甲子太郎暗殺の恨みがあった。
そういう複雑な状況が近藤さんの最期へとつながってしまったけれど、実は薩摩だけは有馬氏と同じように寛大だったそうです。まぁ、薩摩には近藤さんを拷問して自分たちが明るみに出したくない事実が吐き出されるのを避けたかったという身勝手な理由が見え隠れするようなのですが。
薩摩の血を引く自分が新選組を好きになって、知識を得ようとしても良いのだろうかと罪悪感みたいなものを覚えていたのですが、堂々としていても大丈夫なのかな・・・って思えるようになったので、個人的には【新選組遺聞】を読んで救われた部分があります。
ま、こんな事、聡明な土方さんが聞いたら一笑に付すだろうけども。彼らの生き様は壮絶だから、そうたやすく近付いて良いものなのかって考えちゃう自分がいて。
なんてね。今日はちょっぴり長い、独り言でした