今週は釣先生の新選組勉強会がありました。
新選組物語(子母澤寛・著)から佐々木愛次郎と佐伯又三郎の話があり、芹沢鴨の没日についての話題へと進みました。
佐々木愛次郎にしても、佐伯又三郎にしても、この新選組物語に書かれていること以外にそう多く語ることは無いようですが、1点だけまだ釣先生も検証できていないのが「佐々木愛次郎の没日」だそうです。
新選組物語には文久3年8月2日となっていて、【莠草(ゆうそう)年録】という記事は前日の8月1日と記載されているとのこと。
そして、この2人が亡くなるきっかけとなった女性は「あぐり」と新選組物語には記載されていますが、この当時の女性はカタカナ2文字が一般的であり、3文字の場合は最後に「子」が付き上に皇族など高貴な生まれの女性に限られていたことを先生が指摘なさっていらっしゃいました。
ですから、例えば近藤勇の娘も瓊子と書いている本がありますが、これもあり得ない。やはり、「タマ」が正しいはずだというお話でした。
尚、明治に入ってからの近藤勇五郎の戸籍謄本コピーを見せて頂きましたが、ここには近藤勇の妻ツネの名前はあるものの、タマが亡くなった後のために後妻の名前(しかも誤記)しかありませんでした。
若手新選組研究家が多くの著書で芹沢鴨の没日は9月16日としていることから、最近ではこれが通説になりつつあることに対して、釣先生は危惧していらっしゃいました。
この件に関しては以前のブログでも書きましたのでここでは割愛しますが、先日壬生寺へ訪れた際にも芹沢鴨の墓石には「9月18日卒」とあったことは確認しています。
他には、釣先生が持参していらした「横倉喜三次(近藤勇の斬首を任命された人)の日誌」の読み下し文を見せて頂きました。
明日からは釣先生の著書、【新選組再掘記】を読み始めようと思います。
こちらは新選組始末記と新撰組史録(平尾道雄・著)の相違点などについても書かれているようなので、3冊の本を交互に読み進めながらの旅になるような気がします。
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