新選組の足跡に触れる京都への旅②

 

 

こんにちは、遅咲きの桜鬼です。

 

前回に引き続き、京都での新選組を辿る旅についてです。

1日目のランチを終えた私たちは、地下鉄に乗って二条城へ向かいました。

二条城の中に入るのは初めてというpolarisさん。私たちと一緒にいてもガイド役ばかりで大変なことしか無くて申し訳ないな・・・と思っていたので、彼女にとってもお楽しみがあったなら良かった〜。

こちらは京都御所や京都守護職上屋敷跡と違って、沢山の観光客で賑わっていました。

入場券を買って中へ入るとすぐに、二の丸御殿への入り口が見えてきます。靴を脱いで御殿の中へ入り、順路に沿って大きな敷地内を歩きました。表に近い方は【鶯張りの廊下】となっていて、床の上に敷かれた絨毯の上を歩いていてもかなり音が鳴ります。セコムの無い時代にも、自衛の手段はあったんですよね(^_^;)

徳川慶喜公による大政奉還が行なわれた場所を通った時、胸に去来するものがありました。自分の思いだったのか、そこの場所のエネルギーを受け取っていたのかは分からないけれど・・・。

順路としては二の丸御殿〜天守台〜お庭を歩いて一周するのですが、広大な土地+暑さも重なって私たちの疲れもピークに達しつつあり、無言で頑張って歩を進める状態になりました(笑)途中で椅子のある休憩所に自動販売機があり、お水を買って少し休憩したらずい分と気力も戻ってきましたけど、polarisさんもブログで書いているように写真を撮る気にもなれないくらい疲れていました。

そうそう、polarisさんのブログには京都守護職上屋敷を始めとして行った先々の史跡に関する説明があるので、是非そちらをしっかり読んで下さい(笑)

 

二条城の次はバスで壬生方面へと移動開始。

バスは結構混んでいて、外国人(多くは中国人)観光客もたくさん乗車していました。

 

浪士組として江戸を出発した時のトップ・清河八郎が暗殺されそうになった場所(その①)を道路の向かい側から見て壬生へと歩き始めたのですが、反対方面に歩き出したりして戻るのが面倒臭くなった私たちは別のバスで改めて八木邸近くのバス停へと移動。

思っていた以上に距離があったので、結果的にはバスに乗って大正解。(polarisさん以外は)時間も考えないで動いている割に、色々なことが完璧。ちなみに、この日は何度も地下鉄やバスに乗ったけれど、地下鉄の駅ではホームに着いた途端に電車が来て、バスも何番のバスに乗るか確認を終えた途端に来たので、待ち時間が皆無と言ってよい程スムーズな移動でした。

そうそう、エスカレーターや通路では右側通行?それとも左側通行?という話題で少し盛り上がりました。京都は流れに身を任せる派が多いみたいで、行く方向の前を歩いている人が左側通行だったら自分も左側を歩く・・・というアバウトな感じらしい。よそ者は受け容れない文化を持つ京都なのに(あくまでも私のイメージ)、こういうのは柔軟なんだね(^_^;)

 

旧前川邸は土蔵内の見学のために翌日のバスツアーで来るのだけれど、団体行動でおみやげ屋さんを訪れる時間が限られていると困るので、立ち寄らせてもらいました。そして、新選組にまつわる年表が書かれたクリアファイルを2枚お買い上げ。

旧前川邸を出る時にpolarisさんが「この部屋で野口健司が切腹をしたと言われているんだよ」と教えてくれたんですが、近藤一派になってからの新選組をおぼろげに理解している程度の私たちは「???」という無言の反応。それでも嫌な顔をせずに、「最後の芹沢一派だよ」と教えてくれたのでした。

 

翌日のバスツアーには組み込まれていない、子母澤寛さんの新選組始末記や新選組遺聞で何度も出てくる八木邸へ。

入場料(お抹茶・お茶菓子付き)を払って、門の前で3人で記念に写真を撮って頂きました。すでにガイドさんによるお話が始まっていて、室内は20人くらいの訪問者で混み合っていたので、玄関に近い所の空いているスペースに何とか座りました。でも遠すぎて声が聞き取れなかったし、半分以上は話が終わっていたので、次の回のお話を最初から聞くことにして待機。

すぐに次のガイドさんのお話が始まったのだけれど、二条城の疲れが出てしまった私たち。3人ともかなり体が揺れていたと思われます。椅子は3つしかなくて、その椅子に座っているのは私たちだけ。つまり、畳に直接座っている他の方々よりも少し高い目立つ位置にいる私たちが、揃ってガクガク首が揺れてるって・・・あ、揺れてたのは私だけだったかもしれない(笑)

声は聞こえていたけれど、確実に意識はそこに無かった(>_<) ただ、本や釣先生の勉強会を通じてこれまでに学んできた一部の史実とガイドさんのお話に違いがあって、『えっ、そこに◯◯さんが出てくる?』みたいに、半分寝ているのに一人ツッコミしてました(^_^;)

芹沢鴨や平山五郎が殺された場所で話を聞くっていうのも、スゴイよね。本当だったらそういうエネルギーも感じるべきだったのに、体が疲れていて気が回らなかった。

新選組遺聞で八木為三郎翁が話したとされる芹沢鴨が躓いたという隣の部屋の文机を見てから、八木家が営んでいる和菓子屋さんでお抹茶とお茶菓子を頂き、八木邸を後にしました。冷たいお抹茶も和菓子も美味しかった〜。京都で新選組巡りをする時は、いつでもここに来たいわ♪

 

この日の終盤は、18時に予約しているはなの舞・池田屋のある三条方面へと向かいます。

池田屋の前の史跡めぐりも盛り沢山だったし、個人的には一番感情が揺さぶられた場所もあったので、この先は次のブログに書きますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この記事を書いた人

このブログは2010年から2014年まで、オーストラリア・シドニーで過ごすことになった子供たちの記録を綴るために始めました。
子供たちが大きくなるにつれて、私自身の趣味についての記事が増えています。
好奇心旺盛で、自分で調べて様々なことに挑戦することが好きです。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 二条城について、「王政復古後、新選組が老中の命令で警備しようとしたら、水戸藩に追い払われた無念の場所」という印象が個人的には強いです(笑)

    旧前川邸、昨今は門内に入れるようになり、見学会など土蔵を見せていただくような機会もできて、大変ありがたいことと思います。
    かつては門前を拝見して、内部をあれこれ想像するしかありませんでした(笑)

    八木邸の主屋も、通年公開されるようになったのはそれほど古いことではないです。
    ガイドさんから詳しくお話があったでしょうが、いくらか改修されて幕末当時とは変わっているところもあるそうですね。
    例えば二階へ上がる階段、昔は屋外にあったとか。

    映画「合葬」ご覧になりましたか?よろしかったらご感想なり教えてください。

    • 自分が行った場所に実際に新選組隊士たちがいたという事実がまだ実感できなくて、頂いた二条城に関するコメントを読んでも何だかイメージが湧きません(^_^;)

      旧前川邸にしても八木邸にしても、公開されるようになったのは比較的最近のことなのですか?知りませんでした。公開するに当たって維持するのが大変になると思うのですが(人が入れば傷むでしょうし)、ありがたいと感じる一方で訪問する側のマナーも求められているな、と思いました。

      映画「合葬」は観て来ましたよ。最近やたらと忙しくてブログを書けずにいますが、近い内にアップしますね。

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