第53回新選組勉強会

 

12月は体調不良でお休みしてしまったのですが、昨日2ヶ月振りに新選組勉強会に参加して来ました。

第53回のテーマは近藤勇五郎についての検証です。

 

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私が参加し始めた去年の6月くらいから子母澤寛の新選組物語とその関係者についての検証をしていて、昨日は新選組物語に書かれている近藤勇五郎が語った「近藤勇の屍を掘る」についてのお話でした。

近藤勇の介錯人を務めた横倉喜三次という人は、介錯を務めた報奨金をすべて近藤勇を弔うために使ったそうで、とても興味深い人物です。

釣先生もこの人について、もっと調べてみたいと仰っていました。

 

他に釣先生が仰っていたことを覚え書きのメモを拾うと、下記のような感じ。

  • 近藤勇五郎に関しては勇の娘と結婚しただけで、実際に勇から天然理心流(剣術)を学んだとは思えない
  • 実際の刑死が行なわれた時間は夕方であり、昼過ぎというのは誤り(=勇五郎はその場面を見ていないのではないか)
  • 首のない身体で勇と断定したのは肩にあった傷だが、勇五郎は左肩と述懐している(本当は右肩)
  • 勇の娘を瓊子と記している本を見かけるが、明治以前の女性はカタカナ2文字が一般的。「子」が付くのは宮家など位の高い家の女性のみ。よって、本来は「タマ」が正しいと思われる。
  • 子母澤寛に話をした当時の勇五郎はすでにタマが亡くなって再婚しており、勇を義父と呼ぶのはどうか(あくまでも釣先生の主観)

 

そして再び、和暦(旧暦)と西暦の変換についてのお話がありました。

文久の時代から2050年までの数百年間において、沖田総司が亡くなった日は西暦で合致する日が無いというお話。

また、例えば土方歳三の命日を6月20日が通説となっているが、本来はこれも間違い(和暦を新暦にすると毎年その日にちは違ってくる)。

先生はその回(勉強会)のテーマに関係する隊士の数百年分の和暦・西暦表を下さるのですが、昨日は近藤勇、土方歳三、沖田総司の表が補足資料として配布されたので、先生に直接質問してやっと読み方が分かった所です。

 

新選組に興味を持ってからの私は史実を知りたいという気持ちが強く、正直フィクションの新選組には全く惹かれません。

多くのファンがいると思われる【燃えよ剣】も最初の100ページくらいでげんなりしてしまって、せっかく上下巻買ったけれど、きっと読まないままになると思われます。

特定の好きな隊士がいる訳ではないけれど、あの本の最初に描かれている土方歳三が気に入らないのです。

何であんな描かれ方をしちゃうのかな・・・って。

 

そうは言っても史実だと思っていた子母澤寛の本も創作が非常に多いことを知ったし、永倉新八の顛末記だって結局は新聞記者が書いた物だし(釣先生は色々と突っ込みどころがあると時折お話して下さいます)。

それにしても、「私は史実の新選組を知りたい」と言った時の釣先生のお言葉、「何が史実なのか、だよ」は非常に重みがありました。

今は仕事が忙しくて平尾道雄さんの本も途中で止まっているし、去年の春に日野本陣で何冊か資料を買ったのだけど(中島登の手記とか)、それも全く読んでいない。

もっと時間が欲しい・・・と感じる、今日この頃です。

 

話は変わりますが、3月に山南忌が行なわれるそうで、釣先生の奥様に「一緒に行こう!」とお誘いを頂きました。

釣先生の勉強会には天然理心流・試衛館の館主さんを始め門下生が複数参加なさっていて、皆さん山南忌で演武を披露なさるそうです。

私は山南敬助について釣先生の勉強会で学んだことしか知らないけれど、新選組(薄桜鬼)を通じて出会ったブログ仲間が「一緒に行くよ〜」と言ってくれたので、先ほど申し込みハガキを投函して来ました。

もし参加できることになったら、泊まりで京都に行き、前日は一人で奈良観光をしたいと考えています。

念のためホテルも新幹線も予約したので、あとは旧前川邸から参加可否の連絡を待ちます。

 

 

釣先生の新選組勉強会 → 江戸史談会

第10回山南忌 → 旧前川邸公式サイト

 

 

 

 

 

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この記事を書いた人

このブログは2010年から2014年まで、オーストラリア・シドニーで過ごすことになった子供たちの記録を綴るために始めました。
子供たちが大きくなるにつれて、私自身の趣味についての記事が増えています。
好奇心旺盛で、自分で調べて様々なことに挑戦することが好きです。

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