おはようございます、makoです。
【新選組遺聞】を読み終えました。
この本の最後は、近藤勇の投降~斬首~遺体を菩提寺へ運んだ様子、などが書かれています。
流山で投降した辺りの話は、旧佐倉藩留守居役だった依田百川(よだ ひゃくせん)さんの「譚海(たんかい)」で触れられている話が有力だったらしいのですが、大正時代になって薩摩の有馬純雄・当時86才(以前は有馬藤太という名前で東北道総督府の副参謀)が「譚海」とはずい分と違う話を残したそうです。
そして、子母澤寛さんの新選組遺聞では、この有馬談に重きを置いて話が進みます。
これは長くなるし、非常に感情が揺さぶられる述懐の連続ですので、是非この本を実際に読んで下さい(多分、図書館で借りられると思います)。
有馬さんは流山で実際に近藤勇が投降した相手であり、大久保大和と名乗っていた人物が近藤勇だと分かっていました。
そして、板橋に近藤さんを移送するに当たって本営にいる参謀に書状を送っているのですが、胸を打つ内容となっています。
- 大久保大和は近藤勇であること
- 男らしい降伏の様子
- 本営で充分な待遇をしてやって欲しいこと
- 近藤勇の処分についての一切を自分に任せて欲しいこと
ただ、有馬さんはその後に宇都宮へ進軍、そして負傷している間に私怨を持つ別の者たちの差し金で、近藤勇の斬首が決まってしまったそうです。
その「別の者たち」についての有馬さんの怒りも書かれています(本を読んでじっくり味わって下さい)。
有馬さんは近藤勇の死に対して、「立派な人物を惜しいことをした」と言っていて、「一種の英傑」とまで明言しています。
また、私怨によって斬首を決め後々名を挙げた人物に対して、思いをぶつけた後は二度と接点を持たなかったそうです。
もし有馬さんが負傷しなければ、近藤さんは別な生き方が与えられていた可能性があるのだと初めて知って、複雑な思いが沸き上がってきました。
これが歴史なのだと、過去のことだと分かっているのに、このやるせなさ。
有馬さんの残した言葉の数々から、近藤さんが非常に素晴らしい資質を持った人だったことが分かります。
私は薄桜鬼から入ったから、どちらかと言えば近藤さんはお茶目なキャラクターというイメージ。
唯一、凄みを見せるのは流山での投降を決めたシーン。
新選組局長として土方さんに命令した、あのシーンです。
だけど、あれだけの暴れ馬、もとい剣客達を束ねる局長だった近藤さんは、やはり大きな人物だったのですね。
だからこそ、土方さんは近藤さんをどの歴史上の人物よりも上に持って行きたかった。
この本は新選組を知る上ではとても貴重な資料で、お勧めですよ。
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